Days.Sweet Days


         1

 二月に入った、学校の帰り道。
「もうすぐバレンタインだよね」
 二人になったタイミングで稜子がそんなことを言い出したので、面倒事の予感に亜紀は気のない様子で目を向けた。
「皆にチョコ、あげないかなーって」
 案の定の面倒事に亜紀は溜息をつきそうになる。
「渡したいなら渡せばいいじゃない。私を巻き込まないで欲しいんだけど」
「えーやろうよ」
「いや、そういうことして喜ぶ連中じゃないでしょ……」
 この一年の付き合いで空目達の大体の傾向は見えていた。あの面々はそんなことで喜びはしないだろうと。そう考えている亜紀はそうしたイベントに乗ることが結果のない虚しいことか理解していた。……亜紀がひた隠しにしている恋の相手の突破口は未だに見えない。
「でも武巳クンは喜びそうだけどなあー」
「…………」
 稜子の狙いはわかっている。義理チョコと称していつもの面子を隠れ蓑に武巳にチョコを渡したいが、一人で渡すと目立つから亜紀を巻き込もうとしているのだろう。
 気にせず武巳にチョコを渡してついでに告白でもすればいいのにと他人事ゆえに思う。
 亜紀が気付く程度には稜子が武巳に好意を寄せているのは傍から見ていて明らかだった。それとなく好意を匂わせる行動をとってはいるようだが、はっきり言わないと鈍い武巳は一生気付かないのではないかと思う。
 ……というか時々稜子が異性の友人相手ではやらないスキンシップを伴う距離の詰め方をしているのに気付かない武巳はよくいえば大らかだが、悪くいえば鈍すぎるとさえ思う。
「思い出作ろうよー青春しよー絶対楽しいよー」
 亜紀の腕を抱き込む稜子。
「あーもう、鬱陶しいなー」
「今度の日曜日、デパート行こうよ」
 もうバレンタインをやることが決定事項のように話し出す。
「大体友達に渡すチョコってそんな気合入れるもの?」
 亜紀もこうした行事には疎いが、高校生の小遣いで賄えるコンビニやスーパーで買える安価なチョコや手作り菓子を配るものではないのだろうか。
「………………」
 義理チョコにカムフラージュして本命チョコを渡すつもりの稜子は葛藤している。友達を相手に高額な品を渡すのは不自然だ。
「でもバレンタインの催事場ってワクワクするし、見に行くだけでもよくない?」
「勝手に行って」
 さすがにそこまで付き合いきれない。
「じゃあ、じゃあさ、亜紀ちゃんちの台所貸して! 材料は用意するし後片付けもちゃんとするから!」
「まあいいけど」
「ありがとー寮のキッチンも借りられるけど、バレンタインの前だと多分使いたい子多くて争奪戦になっちゃうから」
「……なるほど」
 そういう争いとなると人がいい稜子は不利だろう。

         ✽

 バレンタインの前日、材料の入ったスーパーの袋を下げて稜子が亜紀の部屋を訪ねてきた。
「えらく大荷物だね」
「ラッピングの袋とかも一緒だから」
「なるほど」
「ふんふん、いい匂いがする。もう焼いたの? 手際いいねえ」
「ボウルとか計量カップとかそこにあるから使って。他に必要なものあったらいいな」
「ありがと」
 手伝いをする必要があるか稜子を見守っていたが、あらかじめ作るものは決めていたらしく手際よく進めていた。慣れた様子だった。
「このクッキーね、よくお姉ちゃんと作ってたの。おいしいんだよ」
「へえ」
「これにチョコも入れたらオイシイと思うんだよね」
 稜子がオーブンにクッキーの生地を入れて焼いている間、休憩しようかと亜紀は紅茶を入れる。
「ん?」
 ごそごそと自分のバッグを漁り始める稜子。
「結局この前デパート行って買ってきちゃった。食べよう」
 いってテーブルにラッピングされた綺麗な箱を置く。中身はトリュフチョコレートだった。
「……」
「おいしいね、これ」
 ひどく美味しそうに頬張る稜子。
「そうだね」
「高い味がする」
「そういう感想はどうなの」
「でもやっぱりお値段分が材料にかかってる味だよーこれは」
「そういうこといわれると食べづらいんだけど」

「私の焼いたやつも食べる?」
「わー食べる食べる」

 二月の外の寒さとは裏腹に部屋の中は暖かく紅茶と焼き菓子の甘い匂いがしている。
「…………」
 行事に興味はなかったが――こういうやり取りは悪くはないかなと思った。

         2

 そしてバレンタイン当日、食堂でお昼を食べる面々に稜子と亜紀はお菓子の入った包みを差し出す。
「ハッピーバレンタインー」
「はい、おやつにどうぞ。お返しは別にいらないから」
 亜紀のあまりの素っ気なさに稜子は苦笑する。
 亜紀が作ったのはマドレーヌだ。昨日の試食で相伴に預かった稜子からしても上手く出来ていた。もっとアピールしたらいいのにと思ったが、空目達からは気の利いた感想は期待できそうにないので、亜紀が素っ気なくなるのも仕方がないのかもしれない。
「うわーありがと。うまそう」
 唯一そういうリアクションが期待できる武巳は歓声を上げる。そうでしょーと、自分ごとのように誇る稜子。
「こういうの母親以外からもらったの初めてだ……ありがとなー稜子」
 感慨深そうに武巳はいう。
「どういたしまして」
「うち転勤多くて、こういうことする相手いなかったからなあ」
 自分が家族以外で武巳にチョコをあげた初めての相手なのかと思うと稜子は面映いが、武巳は額面通りの友チョコとしか思っていないようだった。
 これで少しは意識してくれたらいいのにと思ったが、武巳が嬉しそうにしてくれたのでまあいいかと稜子は思ってしまう。

 俊也はしげしげと渡された菓子の袋を眺めていたが、
「やる。日下部と分けて食え」
 そういって鞄から取り出したラッピングされた箱を亜紀達の前に置いてくる。
「………………」
 怪訝そうに見る亜紀の視線の意味に気付いたのか、俊也はあーと物言いたそうな顔をした。
「……貰いもんだぞ?」
「女の子からの好意の品を、横流し……?」
「違う。母親からのだ」
 即座に疑惑を否定する俊也。
「なんだ」
 からかいの材料がなくなって亜紀が残念そうな顔つきをするので、俊也は渋面を作る。
「うちはあれだし全然こういうことしないのに珍しくな。食わないから食ってくれると助かる」
 美味しく食べてくれる相手にあげたほうが合理的という考えなのだろうが、渡し甲斐がないだろうなと俊也の母親に同情してしまったのか「お返し、お母さんにちゃんとしなさいよ」などと亜紀が言っていた。
 甘いものが苦手なのだろうかと思ったが、そのわりには亜紀と稜子のお菓子は受け取ってるのでよくわからない。袋から出したマドレーヌに俊也は早速ぱくついている。お昼の量が足りていなかったが甘いチョコレートで腹を満たすよりはこっちのほうがいいと思ったのかもしれない。

「あ、俺も。後でなにか渡すよ」
「別にいいよぉ」
 武巳が慌てた様子でそういうので、そんなに物欲しそうな顔をしていただろうかと稜子は思う。

「………………」
 空目は自分の前に置かれたラッピングされた菓子の袋を眺めていた。その様子は物珍しそうにしているようにも対処に困っているようにも見えた。空目は美形なのでモテそうだが、人を寄せ付けない浮世離れした隔絶感があるので、もしかすると今までこういう俗習的な行事に乗って贈り物をする子はいなかったのかもしれない。

「でも手作りのお菓子ってさ、知り合い以外からだと受け取るのが怖いよな」

「え……」
 武巳の発言に稜子が固まる。
「おまじないでさチョコに自分の髪の毛や血を混ぜるっていう話、あるじゃん」
「あー……聞いたことあるね……」
 一理あるとしながらも決して愉快な気分ではないのか不快そうに眉間を顰める亜紀。
「あ、あのそんなんじゃないよ?」

「血や肉が呪術的な力を持つというのは共通認識だ。あながち間違ってないのかもしれない」
「ええ……?」
「……」
 いきなり出てきた空目の講釈に、女子二人は眉をしかめる。
「他人に人体の一部を食べさせて従属を迫るというのは呪術としてはポピュラーだといえるな。
 キリスト教の聖餐におけるワインとパンはキリストの血と肉を模しているが、信徒に信仰対象を摂取させて集団に帰属させるという儀式だ。
 ケルトのコナハトの女王メイブは王権の証として愛人達に己の経血入りの蜂蜜酒を飲ませた。
 魔女は自らの体を傷つけ流れ出た血を使い魔に与えるという。
 黄泉の食べ物を口にしたものは黄泉のものとなる――黄泉戸喫の考え方にも通じる。
 食べ物を口にした対象を信仰対象や集団に帰属させる儀式は原初的な呪いというわけだ。
 だが実際に血肉が入っておらずとも、こうしたイベントに従って菓子を贈与して食べさせるという行為自体が信仰に従う儀式に通じているわけだが、二人共キリスト教徒だったのか?」
「違うけど」
「今日びの日本でいちいち気にしてるの恭の字ぐらいだと思うよ」
「……………………」
 黙り込む一同。
「……はあ、おまじないだの講釈自体は興味深いけどさ、まったく今言う? デリカシーがないね」
「もう、無理して食べなくていいよ……」
 露骨にしょげる稜子。
 迂闊な話を振った武巳を亜紀が睨めつけ「馬鹿者」といった。
「あーごめんてば。おいしいよーぼくは幸せ者だなあ」
「うう……」
 女性陣を傷つけたお詫びに後日武巳は高いお返しをすることになるのだが、それはまた別の話だ。

〈終〉

初稿2022年 - 改訂2023年


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