朽ちた楽園
それは騎士になる前の鹿狩雅孝を預かっていた時の話だ。
「…………」
工房の入り口に立つ人影。生気のないその佇まいに、気付くのが一瞬遅れた。
もう調子は大丈夫か、などと尋ねるには修司は寡黙すぎた。ただそれだけのことなのだが、それを尋ねるだけの対人能力を修司が持ち合わせていなかったのと、だいたい泡禍に遭った人間が無事でいられる筈がないし、そんなことは聞くだけ無駄だろうというその事実。
ましてや相手は先程まで部屋に閉じ籠もって、ぶつぶつと何かを呟き続けて発狂していたのだから。
「…………」
ただ預かった以上は、様子は確認する。相手――鹿狩雅孝は無表情で工房を見学するように修司の作業を見ている。その様子は無表情ながら奇妙に落ち着いていて、狂気が尽きたのか小康状態なのかはわからないが、次の瞬間発狂したり自死する気配はなさそうだった。
「旧約聖書では神は地面の土を使って人間を作ったというね」
その言葉に、修司は手を止める。
「…………」
「君が土を捏ねているところを見てちょっとそう思っただけだよ」
それは本当にただ、なんでもない感想だったのだろう。
だがそれは、形を持たない心の中の淀みに言葉を与えられたように、しっくりと来た。
ならば、可南子は土を捏ねて器を作る修司に神を見たのだろうか。
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そこは特別な部屋だった。内側と外側のどちらからも掛けられる閂と鍵があった。
暴れられないよう手足を切り離し、床に金具で打った杭に繋がる鎖と首輪をつけられ、破れた衣服の残骸を身に纏い、白い肌を見せながらもなお激しく動く様子は白い芋虫めいていた。
「きぃぃぃぃええええあああああぁぁぁあああああああああぁぁぁ――――――!!」
傷ついても再生する『可南子』に肉体的な疲労はない。昼夜問わず獣めいた様子で暴れるため動けないように手足を切り離して拘束するしかなかった。
修司の断章の〈効果〉により壁や床に飛び散っていた血の跡は本体に吸い込まれ既に無くなっていた。
数ヶ月に一度の間隔で『可南子』はこうなる。
今回はもはや三日にも及ぶ不眠不休の番に、やつれて無精髭を生やした修司は荒んだ目をしながら山刀を手にしたまま敷いた毛布の上に座り込んでいた。
その傍で蓋をしたバケツが、ごとごとと激しく音を立てている。
バケツの中には切断した可南子の手足が入っている。蓋はガムテープで厳重に封印され、中の手足は本体と融合しようと、中に生き物がいるかのように激しく跳ねていた。
「…………」
四肢を欠いた可南子は驚くほどコンパクトだ。小脇に抱えて持ち運びができそうだった。
修司が何度も何度も行った死体処理と同じように、窯の中に放り込んで焼き尽くせば二度と復活しないだろう。
自分の恋人を切り刻み解体したと、自死の衝動に襲われながら決断したあの時の続きを――
「…………………………」
それができたのならとうにしていた。
最初に蘇った『可南子』は今のように獣同然の状態だった。襲いかかってきたそれを、切断しようか刻もうが再生するそれを、何時間もかけて切り刻み続け、やがて狂気が尽きたように大人しくなった。
先刻までの獣のような狂乱も鳴りを潜め、しかし生前のような快活さもなく、廃人と化した可南子。
その人形のような姿を見て、窯で燃やすという生前の可南子との約束を果たすこともできずに、修司は世話をしていた。
しかしその異常を察知して、騎士が訪れたことにより事態は急変する。
無抵抗の可南子に危害を加えようとした騎士に修司は立ちふさがり可南子を庇った。そして可南子を解体するために部屋に置きっぱなしにしてあった斧を手にして振り下ろし騎士を殺害した時、やがて蘇ったその死体を目の当たりにした時――自分が刻んだ相手が蘇る忌まわしき悪夢を宿したのだと理解した。
そしてその騎士の仲間に、泡禍と断章、騎士団のことを知らされて、自分と可南子の処遇をどうするか、その騎士の所属していた騎士団の預かりになった時――
それでもなお――修司は可南子を捨てられなかった。
それが忌まわしき悪夢と共に在り続ける逃れられない運命に身を浸すことになろうと。
捨てられるのなら、とうにしていた。
蘇りの苦痛と発狂――その狂気が尽きたのか可南子の表情がぴたっと静かになった。
「…………あ……瀧…………」
顔を上げる。
「……あっ、はあ……また……私、壊れていたのね…………」
状況を把握して、身体に走る痛みでか細く鳴き、涙を流しながら修司を見上げる。
「…………」
バケツの蓋を外す。取り出した腕と足を、可南子にくっつける。
断面から伸びた筋繊維と血管が手と手を取り合うように融合し、切断された手足はすぐに癒着し、染みひとつなく傷一つもない綺麗な肌になった。
「うれしい……瀧が直してくれた………………」
滂沱の涙を流す可南子。それが神の祝福であるかのように。
「…………」
否、祝福のようにではなく、そのものだった。
――これは、本物の『神』の悪夢なのだから。
あまりにも、たちの悪い冗談だった。末期の病に犯された病人の妄想でしかなかった筈の可南子の『宗教』が、本物の『神』の悪夢と結びついたのだから。
――きっと神が人がエデンの園から出ていくことを止めなかったのは、不完全な己を人が崇拝することに耐えられなかったからだ。完璧な被造物などありえない。被造物は自分の手から離れて完成するのだ。壊れるものとなって完成するのだ。
そんな己を修司の最高傑作だと勘違いしたままの可南子。
完成しない作品、可南子。
そんな可南子を生前の願いの通り、窯で燃やして『完成』させても――修司にはこの悪夢の世界しか残されていない。
一緒に死ぬか、一人で死ぬかの違いなら――共にいたほうがいい。
結局――何度考えても、修司の出した結論は、こうだった。
可南子の首輪を外し、置いていた毛布で包み、抱きかかえる。
「お疲れ様……お風呂に入って、ゆっくり寝て……それからご飯を食べましょう……」
そんな自分を再び繋がった腕で可南子は抱きしめて、優しく労ってくる。
死んだのに生きている時と何一つとして変わらない温もりのある体温で包み込んでくる。
それに安堵しそうになる己の心の動き、その事実こそが、壊れた修司の心を壊していくのだった。
悪夢に染まり朽ちた二人の園にて、壊れた神とその信奉者は壊れてもなお壊し壊されながら生きていた。
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